it
HIP&SQUARE
it
+
goldrus:

thenoguchimuseum:

Isamu Noguchi, Untitled, 1978, basalt
Photo by Kevin Noble
Currently on display in “ Highlights from the Collection: Noguchi Archaic/Noguchi Modern”
The Noguchi Museum
+
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
k-nakama:

1963年、
それまでの、
建築物の高さは、31メートルまで、
という高さ制限が撤廃され、
容積制限へと切り替わりました…。
 
 
これを受けて、
東京海上ビルディングは、
地上32階、高さ130メートルの、
日本最初の超高層ビル計画として構想されました…。
 
 
設計した前川國男は、
この、高さ制限から容積制限への移行を、
このように捉えました…。
 
 
「高くするのは結構、
 但し、躯体を引き締めて足許の大地は開放しなさい、
 というのが法の本来の趣旨」である…。
 
 
そして、この東京海上ビルディングでは、
超高層を実現した上で、
その足許の、地上部分は、
敷地の実に3分の2を、
公共性のある広場として、
市民に開放しようと考えました…。
 
 
また、窓を、
格子状の外壁の奥に入れることで、
窓と格子の間に、避難のための廻廊をつくり出す…。
 
 
さらに、
その廻廊によって、
万が一、火災が起こっても、
上階への延焼を防止する…。
 
 
そして、
そうした公共性や安全性への取り組みは、
東京駅の外観とも呼応しているという、
印象的な、赤みがかった煉瓦色のタイルの格子が、
まるで浮き上がって見えてくるような、
彫りの深い、独特の、存在感のある佇まいによって、
新しい都市景観をつくり出すことと同時に、
実現することを目指していました…。
 
 
そのように、
考え抜かれた計画であったわけですが…。
 
 
お濠端で、皇居を見下ろすような超高層ビルは、
美観上、いかがなものか、という、
いわゆる「美観論争」をはじめとした紛争へと巻き込まれ…。
 
 
時の総理大臣までが絡む、
政治問題へと発展してしまいます…。
 
 
そして、
1965年に届出が出されてから、
およそ5年後…。
 
 
結局、
地上25階、
軒の高さ100メートル以下にビルの頭を削る、
というかたちで認可され、着工…。
 
 
1974年、
計画着手から、およそ10年の歳月を経て、
ようやく完成することになります…。
 
 
この間、
そうした論争や政治問題の渦中で、
前川國男は、
自らの信ずる理念への理解を求めて、
自主的に、7度にわたってパンフレットを作成し、
各所へ配布するなど、
一歩も引くことなく、闘い続けます…。
 
 
最終的には、
ビルの頭は削られることになりましたが、
平面計画を変更することはせずに、
敷地の3分の2を、広場として開放する、
という、当初の理念を守り通すかたちで、
合意することになりました…。
 
 
この問題、
宮内嘉久『前川國男 賊軍の将』を読むと、
以下のように指摘されています…。
 
 
「マスコミも、表面上の問題に目を奪われて、
 これを『皇居前美観論争』と名付けて大々的に報道した。
 しかし、
 事の本質は『美観』でもなければ『高さ』でもなく、
 皇居前都心部空間の在りように関わっていたのである。
 その認識を欠いた、世のいわゆる『文化人』も」、
「高さや美観をあげつらう踊りを踊った」…。
 
 
なんとなく、
「高さ」や「美観」等という、
分かり易い問題として捉えてしまいがちですが、
この指摘には、
確かに、説得力があるような気がします…。
 
 
だって、
その時に、このビルに反対していたはずの方々が、
この問題が決着すると、こぞって、
さも当然のような顔で、
同じか、あるいは、もっと高いビルをつくり始めましたから…。
 
 
そんな姿を見ると、
「高さ」も「美観」も、
やっぱり、関係なかったんですね、
と考えるしかないですよね…。
 
 
それにしても、
そのように、10年間にわたって、
真っ正面から、
愚直に闘うことで、やっと獲得した、
この建築の姿ですが…。
 
 
廻りの建物の中で、
このビルだけが突出することが、
美観上、問題であったはずなのに…。
 
 
今では、この通り…。
 
 
そんなに高くありません…。
 
 
でも、志は,

間違いなく、一番高い…。
+
k-nakama:

駒澤大学耕雲館です…。

設計した、建築家、菅原栄蔵は、
巨匠、フランク・ロイド・ライトに影響を受けた、
と言われます…。

そのため、その作品は、
二言目には、
「ライト風」…、「ライト風」…、
と言われてしまい、
何か、気の毒な感じがします…。

確かに、ところどころに、
そんな「風」はあるような気もしますが…。
でも、
重厚なボリュームが、角度を変えながら、
折重なるように並んでいて、
独特の迫力がありました…。

また、
家型のような、三角形の「アーチ」も、
他ではあまり観たことがないような気もしますし…。

ここまでくると、
もう、
「ライト風」だけではないような気がしますので、
いい加減、勘弁してあげればいいのに、
と思いました…。

それにしても、
この建築の周囲には、
その他の校舎が、後から、
取り囲むようにして建ってしまっていて、
とても窮屈な感じになっていました…。

本当なら、この建築は、
もう少し遠くから眺めると、
壁のガタガタした感じの面白さが、
もっとよくわかるのではないか、
と思うのですが、
隅っこの、あまりよく見えないところに、
閉じ込められているような感じでした…。

そもそも、
キャンパス内の、旧い建築は、
これだけしか残っていないようですから、
もっと、この建築に敬意を払って、
これを中心に、
全体の計画をしてもいいぐらいではないか、
と思います…。

だって、
他の、新しい建物には、
面白いものなんて、全然ありませんでしたから…。

この建築を見えなくしてしまってまで、
建てなければならないような建物は、
ひとつもないように思いましたけど…。
k-nakama:

駒澤大学耕雲館です…。

設計した、建築家、菅原栄蔵は、
巨匠、フランク・ロイド・ライトに影響を受けた、
と言われます…。

そのため、その作品は、
二言目には、
「ライト風」…、「ライト風」…、
と言われてしまい、
何か、気の毒な感じがします…。

確かに、ところどころに、
そんな「風」はあるような気もしますが…。
でも、
重厚なボリュームが、角度を変えながら、
折重なるように並んでいて、
独特の迫力がありました…。

また、
家型のような、三角形の「アーチ」も、
他ではあまり観たことがないような気もしますし…。

ここまでくると、
もう、
「ライト風」だけではないような気がしますので、
いい加減、勘弁してあげればいいのに、
と思いました…。

それにしても、
この建築の周囲には、
その他の校舎が、後から、
取り囲むようにして建ってしまっていて、
とても窮屈な感じになっていました…。

本当なら、この建築は、
もう少し遠くから眺めると、
壁のガタガタした感じの面白さが、
もっとよくわかるのではないか、
と思うのですが、
隅っこの、あまりよく見えないところに、
閉じ込められているような感じでした…。

そもそも、
キャンパス内の、旧い建築は、
これだけしか残っていないようですから、
もっと、この建築に敬意を払って、
これを中心に、
全体の計画をしてもいいぐらいではないか、
と思います…。

だって、
他の、新しい建物には、
面白いものなんて、全然ありませんでしたから…。

この建築を見えなくしてしまってまで、
建てなければならないような建物は、
ひとつもないように思いましたけど…。
k-nakama:

駒澤大学耕雲館です…。

設計した、建築家、菅原栄蔵は、
巨匠、フランク・ロイド・ライトに影響を受けた、
と言われます…。

そのため、その作品は、
二言目には、
「ライト風」…、「ライト風」…、
と言われてしまい、
何か、気の毒な感じがします…。

確かに、ところどころに、
そんな「風」はあるような気もしますが…。
でも、
重厚なボリュームが、角度を変えながら、
折重なるように並んでいて、
独特の迫力がありました…。

また、
家型のような、三角形の「アーチ」も、
他ではあまり観たことがないような気もしますし…。

ここまでくると、
もう、
「ライト風」だけではないような気がしますので、
いい加減、勘弁してあげればいいのに、
と思いました…。

それにしても、
この建築の周囲には、
その他の校舎が、後から、
取り囲むようにして建ってしまっていて、
とても窮屈な感じになっていました…。

本当なら、この建築は、
もう少し遠くから眺めると、
壁のガタガタした感じの面白さが、
もっとよくわかるのではないか、
と思うのですが、
隅っこの、あまりよく見えないところに、
閉じ込められているような感じでした…。

そもそも、
キャンパス内の、旧い建築は、
これだけしか残っていないようですから、
もっと、この建築に敬意を払って、
これを中心に、
全体の計画をしてもいいぐらいではないか、
と思います…。

だって、
他の、新しい建物には、
面白いものなんて、全然ありませんでしたから…。

この建築を見えなくしてしまってまで、
建てなければならないような建物は、
ひとつもないように思いましたけど…。
k-nakama:

駒澤大学耕雲館です…。

設計した、建築家、菅原栄蔵は、
巨匠、フランク・ロイド・ライトに影響を受けた、
と言われます…。

そのため、その作品は、
二言目には、
「ライト風」…、「ライト風」…、
と言われてしまい、
何か、気の毒な感じがします…。

確かに、ところどころに、
そんな「風」はあるような気もしますが…。
でも、
重厚なボリュームが、角度を変えながら、
折重なるように並んでいて、
独特の迫力がありました…。

また、
家型のような、三角形の「アーチ」も、
他ではあまり観たことがないような気もしますし…。

ここまでくると、
もう、
「ライト風」だけではないような気がしますので、
いい加減、勘弁してあげればいいのに、
と思いました…。

それにしても、
この建築の周囲には、
その他の校舎が、後から、
取り囲むようにして建ってしまっていて、
とても窮屈な感じになっていました…。

本当なら、この建築は、
もう少し遠くから眺めると、
壁のガタガタした感じの面白さが、
もっとよくわかるのではないか、
と思うのですが、
隅っこの、あまりよく見えないところに、
閉じ込められているような感じでした…。

そもそも、
キャンパス内の、旧い建築は、
これだけしか残っていないようですから、
もっと、この建築に敬意を払って、
これを中心に、
全体の計画をしてもいいぐらいではないか、
と思います…。

だって、
他の、新しい建物には、
面白いものなんて、全然ありませんでしたから…。

この建築を見えなくしてしまってまで、
建てなければならないような建物は、
ひとつもないように思いましたけど…。
+
+
+
b22-design:

Enzo Mari - ‘La Mela’ - Danese Milaan - 1963
+
vincentvangogh-art:

Self-Portrait with Pipe, 1886
Vincent van Gogh
+
+
+
thebowerbirds:

Source: Svenngarden
I love the mix of copper & minty sage green in this image. It’s very refreshing and calming. One of things I’ve put a lot of thought into is my kitchen - I mean, there are so many different directions you can go in and for me it’s such a fundamental part of the house that it will inevitably dictate a lot of how the rest of the place will look. Although I am pretty convinced I’m going to go darker the combo above it definitely one to consider.
+
+
+