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HIP&SQUARE
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hanayaoat:

永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
hanayaoat:

永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
hanayaoat:

永観堂(8/31)
http://www.eikando.or.jp/index.htm
紅葉の時季になると拝観料跳ね上がるので青紅葉見にいっとこうと初めて行ったわけですが
思った以上に広い。めっちゃ広い。そりゃあ紅葉もたいそうきれいなんでしょうねえという。
まさかの池泉回遊式庭園の登場もありーの水琴窟もありーので大変興奮でした。
いやまあでも水琴窟はその、微妙ではありましたけど。
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k-nakama:

旧山口文象自邸…。山口文象は、1930年、激動のヨーロッパに渡り、バウハウスの創始者、グロピウスのアトリエで働き、当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国…、その後、最先端の近代建築で、活躍した…、という人なのですが、その一方で、大工の棟梁の家に生まれた、ということが影響しているのでしょうか、個人住宅等では、木造の、和風建築も数多く、つくっているようです…。この自邸は、そうした、和洋両面が感じられるような、ちょっと不思議な雰囲気…。道路側の軒が、非常に低く抑えられているせいか、敷地いっぱいに建った、小さな家に見えますが、実は、この裏手には、かなり大きな中庭があって、その周囲に、度重なる増改築を行うことで、現在のような姿になったようです…。つまり、一度で完成させてしまうのではなく、時間をかけて、いろいろと、試行錯誤を繰り返したために、持っていた二つの方向性が、両方とも出てきて、溶け合い、結果として、和洋両面が感じられるような、不思議な感じになった、ということなのかもしれません…。この人が抱えていた、二つの方向性が、両方とも出ていて、それらが溶け合っている…。まさに、「この人らしい家」、と言っていいのかもしれませんね…。
k-nakama:

旧山口文象自邸…。山口文象は、1930年、激動のヨーロッパに渡り、バウハウスの創始者、グロピウスのアトリエで働き、当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国…、その後、最先端の近代建築で、活躍した…、という人なのですが、その一方で、大工の棟梁の家に生まれた、ということが影響しているのでしょうか、個人住宅等では、木造の、和風建築も数多く、つくっているようです…。この自邸は、そうした、和洋両面が感じられるような、ちょっと不思議な雰囲気…。道路側の軒が、非常に低く抑えられているせいか、敷地いっぱいに建った、小さな家に見えますが、実は、この裏手には、かなり大きな中庭があって、その周囲に、度重なる増改築を行うことで、現在のような姿になったようです…。つまり、一度で完成させてしまうのではなく、時間をかけて、いろいろと、試行錯誤を繰り返したために、持っていた二つの方向性が、両方とも出てきて、溶け合い、結果として、和洋両面が感じられるような、不思議な感じになった、ということなのかもしれません…。この人が抱えていた、二つの方向性が、両方とも出ていて、それらが溶け合っている…。まさに、「この人らしい家」、と言っていいのかもしれませんね…。
k-nakama:

旧山口文象自邸…。山口文象は、1930年、激動のヨーロッパに渡り、バウハウスの創始者、グロピウスのアトリエで働き、当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国…、その後、最先端の近代建築で、活躍した…、という人なのですが、その一方で、大工の棟梁の家に生まれた、ということが影響しているのでしょうか、個人住宅等では、木造の、和風建築も数多く、つくっているようです…。この自邸は、そうした、和洋両面が感じられるような、ちょっと不思議な雰囲気…。道路側の軒が、非常に低く抑えられているせいか、敷地いっぱいに建った、小さな家に見えますが、実は、この裏手には、かなり大きな中庭があって、その周囲に、度重なる増改築を行うことで、現在のような姿になったようです…。つまり、一度で完成させてしまうのではなく、時間をかけて、いろいろと、試行錯誤を繰り返したために、持っていた二つの方向性が、両方とも出てきて、溶け合い、結果として、和洋両面が感じられるような、不思議な感じになった、ということなのかもしれません…。この人が抱えていた、二つの方向性が、両方とも出ていて、それらが溶け合っている…。まさに、「この人らしい家」、と言っていいのかもしれませんね…。
k-nakama:

旧山口文象自邸…。山口文象は、1930年、激動のヨーロッパに渡り、バウハウスの創始者、グロピウスのアトリエで働き、当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国…、その後、最先端の近代建築で、活躍した…、という人なのですが、その一方で、大工の棟梁の家に生まれた、ということが影響しているのでしょうか、個人住宅等では、木造の、和風建築も数多く、つくっているようです…。この自邸は、そうした、和洋両面が感じられるような、ちょっと不思議な雰囲気…。道路側の軒が、非常に低く抑えられているせいか、敷地いっぱいに建った、小さな家に見えますが、実は、この裏手には、かなり大きな中庭があって、その周囲に、度重なる増改築を行うことで、現在のような姿になったようです…。つまり、一度で完成させてしまうのではなく、時間をかけて、いろいろと、試行錯誤を繰り返したために、持っていた二つの方向性が、両方とも出てきて、溶け合い、結果として、和洋両面が感じられるような、不思議な感じになった、ということなのかもしれません…。この人が抱えていた、二つの方向性が、両方とも出ていて、それらが溶け合っている…。まさに、「この人らしい家」、と言っていいのかもしれませんね…。
k-nakama:

旧山口文象自邸…。山口文象は、1930年、激動のヨーロッパに渡り、バウハウスの創始者、グロピウスのアトリエで働き、当時の、近代建築の動向を見聞して、帰国…、その後、最先端の近代建築で、活躍した…、という人なのですが、その一方で、大工の棟梁の家に生まれた、ということが影響しているのでしょうか、個人住宅等では、木造の、和風建築も数多く、つくっているようです…。この自邸は、そうした、和洋両面が感じられるような、ちょっと不思議な雰囲気…。道路側の軒が、非常に低く抑えられているせいか、敷地いっぱいに建った、小さな家に見えますが、実は、この裏手には、かなり大きな中庭があって、その周囲に、度重なる増改築を行うことで、現在のような姿になったようです…。つまり、一度で完成させてしまうのではなく、時間をかけて、いろいろと、試行錯誤を繰り返したために、持っていた二つの方向性が、両方とも出てきて、溶け合い、結果として、和洋両面が感じられるような、不思議な感じになった、ということなのかもしれません…。この人が抱えていた、二つの方向性が、両方とも出ていて、それらが溶け合っている…。まさに、「この人らしい家」、と言っていいのかもしれませんね…。
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artesoul:

Forbidden Fruit by Natalie Fressell
artesoul:

Forbidden Fruit by Natalie Fressell
artesoul:

Forbidden Fruit by Natalie Fressell
artesoul:

Forbidden Fruit by Natalie Fressell
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Forbidden Fruit by Natalie Fressell
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Forbidden Fruit by Natalie Fressell
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Forbidden Fruit by Natalie Fressell
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Forbidden Fruit by Natalie Fressell
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Forbidden Fruit by Natalie Fressell
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atma-moon:

We Heart It.
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iveseenthat:

#jeanprouvé #graslampe (at Home Base Library Stacks)
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ileftmyheartintokyo:

出雲大社 by t.kai on Flickr.
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sumiyoshiyuki-e:

Gallery at the top of the hill “APT” (Tokyo, Japan)
Type : Gallery
Architect : Terunobu FUJIMORI
Completed : 2014
NB : “APT” is “Art Perspective Textile”
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acornnn:

undersink storage on wheels. ketchup and mustard.
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k-nakama:

大学の卒業証書を手にすると、
そのまま、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で、17日間をかけて、パリへ…。


建築家、ル・コルビュジェとの、
歴史的な対面…。


そして、
彼のアトリエへ飛び込み、
それからの2年間を、そこで過ごすことになった…。


建築家、前川國男の若き日の、
有名なエピソードです…。


1928年…。
ル・コルビュジェは、42歳…。


まだ、
「建築界最大の巨人」だったわけでは、
ありませんでした…。


ただ、
彼の建築が、世界的に注目され始めた時期であり、
前川國男は、
そうした20世紀の近代建築の最前線、
とでも言うべき場所で、
2年間をすごすことになりました…。


1930年、帰国した前川國男を待っていたのは、
経済恐慌の余波を受けての不況…。


なかなか勤め先がなかった、といいます…。


資生堂パーラーのボーイにでもなろう、と友人に相談した、
なんていう話もあります…。


そんなこんなで、
やっとのことで決まった勤め先が、
建築家、アントニン・レーモンドの事務所…。


彼は、そこで、
独立までの5年間をすごすことになります…。


そんな前川國男が、独立後、
結婚を機に建てたのが、この自邸…。


生涯にわたって、
「鉄筋コンクリート造の本格的な公共建築」をテーマにしていた、
という前川國男ですが、
ここでは、
戦時体制下での資材の統制もあって、木造…。


しかも、
一見、近代建築には見えない、
大屋根の、古い民家風…。


でも、中は、かなりモダンです…。


内部の構成は、
真ん中の、屋根の高い部分に、
2層吹き抜けになった居間・食堂…。


両脇の、
屋根の低い部分に、
個室を1つずつ…。


これ以上単純にすることは出来ないのでは、
と思ってしまうぐらいに単純な構成…。


しかも、
戦時下の建築統制規則によって、
30坪で制限されていたせいもあって、
意外と狭い…。


使っている材料も、
構成も、広さも…、
とにかく何もかも、
ギリギリまで切り詰め、削ぎ落とした感じ…。


しかし、それでいて、
これ以上、一体何が必要なのかな、
と思わせるような充実感があります…。


ル・コルビュジェのシンプルで合理的な近代建築と、
レーモンドが用いた民家風の融合と考えれば、
前川國男の、この時点までのキャリアの集大成、
とも言えるのかもしれません…。


ただ、
彼は、こんなことを語っています…。


「『お前はコルビュジェの弟子ではないか、
 何故コルビュジェみたいな家を建てぬか』
 と詰問されることがある。
 光栄な話である。
 然し私はコルビュジェの事務所で2年間
 そうした誤りを仕出かさない様にと訓へられて来たのだった」…。


なるほど、
何かの集大成ではなくて、これが第一歩か…。


確かに、言われてみれば、
この住宅こそが、
現代まで続く、
木造モダン住宅の出発点の1つです…。



http://knakama.seesaa.net/article/388077076.html
k-nakama:

大学の卒業証書を手にすると、
そのまま、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で、17日間をかけて、パリへ…。


建築家、ル・コルビュジェとの、
歴史的な対面…。


そして、
彼のアトリエへ飛び込み、
それからの2年間を、そこで過ごすことになった…。


建築家、前川國男の若き日の、
有名なエピソードです…。


1928年…。
ル・コルビュジェは、42歳…。


まだ、
「建築界最大の巨人」だったわけでは、
ありませんでした…。


ただ、
彼の建築が、世界的に注目され始めた時期であり、
前川國男は、
そうした20世紀の近代建築の最前線、
とでも言うべき場所で、
2年間をすごすことになりました…。


1930年、帰国した前川國男を待っていたのは、
経済恐慌の余波を受けての不況…。


なかなか勤め先がなかった、といいます…。


資生堂パーラーのボーイにでもなろう、と友人に相談した、
なんていう話もあります…。


そんなこんなで、
やっとのことで決まった勤め先が、
建築家、アントニン・レーモンドの事務所…。


彼は、そこで、
独立までの5年間をすごすことになります…。


そんな前川國男が、独立後、
結婚を機に建てたのが、この自邸…。


生涯にわたって、
「鉄筋コンクリート造の本格的な公共建築」をテーマにしていた、
という前川國男ですが、
ここでは、
戦時体制下での資材の統制もあって、木造…。


しかも、
一見、近代建築には見えない、
大屋根の、古い民家風…。


でも、中は、かなりモダンです…。


内部の構成は、
真ん中の、屋根の高い部分に、
2層吹き抜けになった居間・食堂…。


両脇の、
屋根の低い部分に、
個室を1つずつ…。


これ以上単純にすることは出来ないのでは、
と思ってしまうぐらいに単純な構成…。


しかも、
戦時下の建築統制規則によって、
30坪で制限されていたせいもあって、
意外と狭い…。


使っている材料も、
構成も、広さも…、
とにかく何もかも、
ギリギリまで切り詰め、削ぎ落とした感じ…。


しかし、それでいて、
これ以上、一体何が必要なのかな、
と思わせるような充実感があります…。


ル・コルビュジェのシンプルで合理的な近代建築と、
レーモンドが用いた民家風の融合と考えれば、
前川國男の、この時点までのキャリアの集大成、
とも言えるのかもしれません…。


ただ、
彼は、こんなことを語っています…。


「『お前はコルビュジェの弟子ではないか、
 何故コルビュジェみたいな家を建てぬか』
 と詰問されることがある。
 光栄な話である。
 然し私はコルビュジェの事務所で2年間
 そうした誤りを仕出かさない様にと訓へられて来たのだった」…。


なるほど、
何かの集大成ではなくて、これが第一歩か…。


確かに、言われてみれば、
この住宅こそが、
現代まで続く、
木造モダン住宅の出発点の1つです…。



http://knakama.seesaa.net/article/388077076.html
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大学の卒業証書を手にすると、
そのまま、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で、17日間をかけて、パリへ…。


建築家、ル・コルビュジェとの、
歴史的な対面…。


そして、
彼のアトリエへ飛び込み、
それからの2年間を、そこで過ごすことになった…。


建築家、前川國男の若き日の、
有名なエピソードです…。


1928年…。
ル・コルビュジェは、42歳…。


まだ、
「建築界最大の巨人」だったわけでは、
ありませんでした…。


ただ、
彼の建築が、世界的に注目され始めた時期であり、
前川國男は、
そうした20世紀の近代建築の最前線、
とでも言うべき場所で、
2年間をすごすことになりました…。


1930年、帰国した前川國男を待っていたのは、
経済恐慌の余波を受けての不況…。


なかなか勤め先がなかった、といいます…。


資生堂パーラーのボーイにでもなろう、と友人に相談した、
なんていう話もあります…。


そんなこんなで、
やっとのことで決まった勤め先が、
建築家、アントニン・レーモンドの事務所…。


彼は、そこで、
独立までの5年間をすごすことになります…。


そんな前川國男が、独立後、
結婚を機に建てたのが、この自邸…。


生涯にわたって、
「鉄筋コンクリート造の本格的な公共建築」をテーマにしていた、
という前川國男ですが、
ここでは、
戦時体制下での資材の統制もあって、木造…。


しかも、
一見、近代建築には見えない、
大屋根の、古い民家風…。


でも、中は、かなりモダンです…。


内部の構成は、
真ん中の、屋根の高い部分に、
2層吹き抜けになった居間・食堂…。


両脇の、
屋根の低い部分に、
個室を1つずつ…。


これ以上単純にすることは出来ないのでは、
と思ってしまうぐらいに単純な構成…。


しかも、
戦時下の建築統制規則によって、
30坪で制限されていたせいもあって、
意外と狭い…。


使っている材料も、
構成も、広さも…、
とにかく何もかも、
ギリギリまで切り詰め、削ぎ落とした感じ…。


しかし、それでいて、
これ以上、一体何が必要なのかな、
と思わせるような充実感があります…。


ル・コルビュジェのシンプルで合理的な近代建築と、
レーモンドが用いた民家風の融合と考えれば、
前川國男の、この時点までのキャリアの集大成、
とも言えるのかもしれません…。


ただ、
彼は、こんなことを語っています…。


「『お前はコルビュジェの弟子ではないか、
 何故コルビュジェみたいな家を建てぬか』
 と詰問されることがある。
 光栄な話である。
 然し私はコルビュジェの事務所で2年間
 そうした誤りを仕出かさない様にと訓へられて来たのだった」…。


なるほど、
何かの集大成ではなくて、これが第一歩か…。


確かに、言われてみれば、
この住宅こそが、
現代まで続く、
木造モダン住宅の出発点の1つです…。



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大学の卒業証書を手にすると、
そのまま、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で、17日間をかけて、パリへ…。


建築家、ル・コルビュジェとの、
歴史的な対面…。


そして、
彼のアトリエへ飛び込み、
それからの2年間を、そこで過ごすことになった…。


建築家、前川國男の若き日の、
有名なエピソードです…。


1928年…。
ル・コルビュジェは、42歳…。


まだ、
「建築界最大の巨人」だったわけでは、
ありませんでした…。


ただ、
彼の建築が、世界的に注目され始めた時期であり、
前川國男は、
そうした20世紀の近代建築の最前線、
とでも言うべき場所で、
2年間をすごすことになりました…。


1930年、帰国した前川國男を待っていたのは、
経済恐慌の余波を受けての不況…。


なかなか勤め先がなかった、といいます…。


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なんていう話もあります…。


そんなこんなで、
やっとのことで決まった勤め先が、
建築家、アントニン・レーモンドの事務所…。


彼は、そこで、
独立までの5年間をすごすことになります…。


そんな前川國男が、独立後、
結婚を機に建てたのが、この自邸…。


生涯にわたって、
「鉄筋コンクリート造の本格的な公共建築」をテーマにしていた、
という前川國男ですが、
ここでは、
戦時体制下での資材の統制もあって、木造…。


しかも、
一見、近代建築には見えない、
大屋根の、古い民家風…。


でも、中は、かなりモダンです…。


内部の構成は、
真ん中の、屋根の高い部分に、
2層吹き抜けになった居間・食堂…。


両脇の、
屋根の低い部分に、
個室を1つずつ…。


これ以上単純にすることは出来ないのでは、
と思ってしまうぐらいに単純な構成…。


しかも、
戦時下の建築統制規則によって、
30坪で制限されていたせいもあって、
意外と狭い…。


使っている材料も、
構成も、広さも…、
とにかく何もかも、
ギリギリまで切り詰め、削ぎ落とした感じ…。


しかし、それでいて、
これ以上、一体何が必要なのかな、
と思わせるような充実感があります…。


ル・コルビュジェのシンプルで合理的な近代建築と、
レーモンドが用いた民家風の融合と考えれば、
前川國男の、この時点までのキャリアの集大成、
とも言えるのかもしれません…。


ただ、
彼は、こんなことを語っています…。


「『お前はコルビュジェの弟子ではないか、
 何故コルビュジェみたいな家を建てぬか』
 と詰問されることがある。
 光栄な話である。
 然し私はコルビュジェの事務所で2年間
 そうした誤りを仕出かさない様にと訓へられて来たのだった」…。


なるほど、
何かの集大成ではなくて、これが第一歩か…。


確かに、言われてみれば、
この住宅こそが、
現代まで続く、
木造モダン住宅の出発点の1つです…。



http://knakama.seesaa.net/article/388077076.html
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大学の卒業証書を手にすると、
そのまま、東京を発ち、
シベリア鉄道経由で、17日間をかけて、パリへ…。


建築家、ル・コルビュジェとの、
歴史的な対面…。


そして、
彼のアトリエへ飛び込み、
それからの2年間を、そこで過ごすことになった…。


建築家、前川國男の若き日の、
有名なエピソードです…。


1928年…。
ル・コルビュジェは、42歳…。


まだ、
「建築界最大の巨人」だったわけでは、
ありませんでした…。


ただ、
彼の建築が、世界的に注目され始めた時期であり、
前川國男は、
そうした20世紀の近代建築の最前線、
とでも言うべき場所で、
2年間をすごすことになりました…。


1930年、帰国した前川國男を待っていたのは、
経済恐慌の余波を受けての不況…。


なかなか勤め先がなかった、といいます…。


資生堂パーラーのボーイにでもなろう、と友人に相談した、
なんていう話もあります…。


そんなこんなで、
やっとのことで決まった勤め先が、
建築家、アントニン・レーモンドの事務所…。


彼は、そこで、
独立までの5年間をすごすことになります…。


そんな前川國男が、独立後、
結婚を機に建てたのが、この自邸…。


生涯にわたって、
「鉄筋コンクリート造の本格的な公共建築」をテーマにしていた、
という前川國男ですが、
ここでは、
戦時体制下での資材の統制もあって、木造…。


しかも、
一見、近代建築には見えない、
大屋根の、古い民家風…。


でも、中は、かなりモダンです…。


内部の構成は、
真ん中の、屋根の高い部分に、
2層吹き抜けになった居間・食堂…。


両脇の、
屋根の低い部分に、
個室を1つずつ…。


これ以上単純にすることは出来ないのでは、
と思ってしまうぐらいに単純な構成…。


しかも、
戦時下の建築統制規則によって、
30坪で制限されていたせいもあって、
意外と狭い…。


使っている材料も、
構成も、広さも…、
とにかく何もかも、
ギリギリまで切り詰め、削ぎ落とした感じ…。


しかし、それでいて、
これ以上、一体何が必要なのかな、
と思わせるような充実感があります…。


ル・コルビュジェのシンプルで合理的な近代建築と、
レーモンドが用いた民家風の融合と考えれば、
前川國男の、この時点までのキャリアの集大成、
とも言えるのかもしれません…。


ただ、
彼は、こんなことを語っています…。


「『お前はコルビュジェの弟子ではないか、
 何故コルビュジェみたいな家を建てぬか』
 と詰問されることがある。
 光栄な話である。
 然し私はコルビュジェの事務所で2年間
 そうした誤りを仕出かさない様にと訓へられて来たのだった」…。


なるほど、
何かの集大成ではなくて、これが第一歩か…。


確かに、言われてみれば、
この住宅こそが、
現代まで続く、
木造モダン住宅の出発点の1つです…。



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Widen Lounge - Shannon Payton and Arunas Sukarevicius
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door to george nakashima home, soleri bell - handcrafted modern by leslie williamson